ソニー技術の秘密

木原信敏著
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文明の進歩に役立ったという
幸福感や満足感を味わったときこそ
技術者は最高の喜びを得られるのだと思います
(『ソニー技術の秘密』より)

『ソニー技術の秘密』試し読み!

第三章 好きなことは、とことんやれ - 「技術屋の一生」はどうあるべきか
⑷「トランジスタ」時代到来 より

日本最初の「トランジスタ・ラジオ」発売さる

その直後、「あんたもトランジスタ・ラジオの研究を引き受けてくれないか」との話があり、急遽、狩野さん、安田さんのラジオ研究グループにジョイントして問題点を聞き出しました。製作したラジオは大変なトラブルの発生で困っているとのことでしたが、それは電気回路の問題ではなく、製造技術とか機械設計の問題だったのです。

その当時使われ出したプラスチックのモールドを使った筐きょうたい体、つまり箱の設計がお組末だったので、国連ビルと名づけられた形と、その箱の肉厚に問題があって、日が経つにしたがって歪みが出てくるため、製品として発売するのを諦めざるをえなかったのです。

私は機械の設計はできますが、モールドは経験がありませんので、下請けのモールド屋さんのところに行き、話を聞いて多少ヒントを貰うことができました。

角張ったところは歪みやすい。肉厚みは均一なほどよい。急に厚みが変化するところは表面にヒケ(ひきつり)ができるなどのヒントを得ることができました。

それを聞けば、だいたいラジオの箱の形は想像がつきます。そのなかに入れる回路、ダイアル装置、バリコン、バーアンテナ、スピーカーのデザインを考えた配置については、隠れたる私の芸術的センスを発揮して、すべて一人でまとめてしまいました。回路は狩野さんが今まで開発してきた、小型化した中間周波トランス、オーディオトランス、スピーカーなどをそのまま流用させてもらい、回路は私の流儀を採り入れて決めました。

このとき、アメリカのリージェンシー社の五石トランジスタ・ラジオが手に入り、そのなかを見て、プリント基盤を使っているのを知り、感心しました。噂には聞いていたのですが、見たのは初めてでした。

その後、配線にはプリント配線を使うのが常識の時代になっていくのです。

配線は、プリント基盤を用いてハンダづけすることにし、プリント配線用の図面も私が書き上げて、下請け工場に注文して銅板のエッチングをしてもらい、なんとかプリント配線基盤を作ることができるようになりました。四月のころのことでした。

盛田さんはこのプリント回路方式を見て、これからの電気回路はこれが主流になると判断し、プリント基盤材料を輸入して生産販売を開始したのでした。

プリント基盤は、ベークライト板に接着材で電解銅箔を貼りつけたものでしたが、当時の日本には、接着剤も電解銅箔もこの用途に適したものが手に入らず、アメリカの接着剤製造会社ラバーアンドアスベストス社から輸入したものでした。

その後できた製造会社がソニーケミカル株式会社で、ボンドマスター、テープなどの製品を製造販売しています。

私は、安田さんのグループとは別に、独自にトランジスタ・ラジオの小型化の試験をしていましたが、当時、真空管のポータブルラジオは三み つみ 美電気のポリバリコン(ポリエステルの大きな誘電率を応用した可変コンデンサー)を使って小型化していましたので、トランジスタ・ラジオにもぜひ使いたいと測定をしました。しかし、高周波側と局発側のバリコンのキャパシティ変化カーブがトランジスタには使えないことが判明しました。

これはメーカーに相談して開発してもらおうと、工場長の樋口さんに頼んで三美電気を訪問することができました。社長の森部一さんに会い、トランジスタ・ラジオ用のポリバリコンを開発していただくことになりました。昭和三〇年二月のことでした。

その後、三美電気はミツミ電気と改名し、トランジスタ用の小型部品なども発売して大発展を遂げ、日本の電気産業を支える重要な部品業の地位を確立したのでした。

ポリバリコンが入手できましたので設計を始めました。筐体のデザインは、私が考えた、歪みがなるべく出ない形で設計しました。モールドができてきて、それをお湯に浸けたり、急冷したり、テストを繰り返しましたが、目に見えるほどの形の変化はなくて安心しました。

筐体が使えることが判明しましたので、それにポリバリコンとダイアル装置を取りつけ、同様にスピーカー、フェライトアンテナ、プリント配線基盤、電池ボックスをビス止めして、機械的な不具合がないことを確かめ、やっと完成しました。

四月には、すべての設計図、回路図、データを製造部隊に移管して、TR―五五型は私の手から離れていきました。今まで何回もこのような移管がありましたので慣れてはいますが、やはりちょっぴり寂しいものです。

でも、八月二〇日に日本最初のトランジスタ・ラジオ、TR―五五型が価格一万八九〇〇円で発売されたときは、さすがに嬉しかったことを憶えています。

新聞紙上でも、東通工の技術によって、真空管がトランジスタに置き換えられることが証明されたとして、次のように評価されました。

「東通工が日本で最初のトランジスタラジオを製造発売したが、世界初といわれる米国リージェンシー社はトランジスタをテキサス・インスツルメンツ社から購入して製造したもので、トランジスタから一貫生産し、発売したのは東通工が世界で初めてである。このようにトランジスタの開発、製造技術の確立とトランジスタラジオの完成は、我が国電子工業の歴史において画期的な出来事となった。即ちこのラジオのトランジスタ化によって従来の真空管がトランジスタに置き換えられる事が技術的に証明されたからである。」

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