学歴無用論

盛田昭夫著

「無難なサラリーマン」 から
「意欲あるビジネスマン」 へと
レベル・アップすることに努めなければならない
(『学歴無用論』「日本独自の改善策を」より)

個性のハーモニーを尊べ

会社を創立した時、私自身も井深社長も、まったく未経験な状態だった。どうしたら会社が成り立ってゆくかということを決定的に方向づけるものが、何一つない。しかし、私たちは意気壮んであった。金も設備も機械もない。しかし、頭があるじゃないか、頭を使えばいい、そう思ったのである。そう言うと大層立派なことに聞こえるかも知れないが、結局、自分の特技を生かすより方法がなかったのである。それがただ一つの道であるということしかわからなかった。従って、あらゆることをよく考えてゆこう、ほかの人よりは少しずつ余計に考えてみようじゃないか、こういうことを申合せたのである。常に新しい製品、人様のやっていない品物をつくるよう心掛けてきたし、技術方面だけでなく会社の運営の仕方、物の売り方という点に於ても少しずつ余計頭を使うというのがモットーだったわけである。

では自分たちの特技は何かと言えば、エレクトロニクスの技術をおいてない、ということになった。食うか食われるかの業界で生きてゆこうとすれば、他人と同じことをしているわけにはいかないのである。

よく「ソニーは技術のパイオニアだ」と言われるが、私たちは、自分の頭を使い、自分たちの能力を自身の手で開発してきただけのことだ。

井深社長は常々「個性尊重」ということを強調して、「世の中を渡ってゆく人々の中には、平々凡々、安全地帯から安全地帯へと渡ってゆく平穏無事な行き方もあるし、冒険心に富み、人とは違った特殊な行き方をしてやろうという野性味と進歩的な考え方を持った人々もある。一概にそのよしあしを言うことはできないけれども、少なくとも個性的な生き方は、平々凡々の行き方よりも、はるかに得るところが大きいということができるのではあるまいか」

といっているが、これは、また会社のバックボーンをなす考え方である。井深社長は控え目な言い方をしているけれども、二十年間、常に意欲的で個性的な製品を造ってきた。一つの個性が真似され始める頃には、もう次の個性を具体化、商品化しているというやり方をしてきた。そして、これこそ、今の時代に生きる要件ではないかと思う。

個性の重要性は、むろん、商品に限りはしない。人についても、まったく同じことである。

会社発足当時、われわれは経営ということに関してはずぶの素人だった。なにもわからない。だから、野放図に自己流をおし通す他なかったのだが、野放図にやるにしても、一つ一つの問題について、全員でディスカッションして完全に納得してからやるということが、いつの間にか社のならいとなったのである。

現在では三十名近くの部長以上がいて、毎日昼食を一緒に食べる。そして、この昼食会では、社長も副社長も常務も部長も、一切分け隔てなく勝手なことを言い合うというのが習慣になっていて、会社経営に関してもみんなが社長であるかのようなことを言うのである。

そして、この、フリー・トーキングができるという雰囲気が、会社がめざましく伸びることのできた大きな要因だと思う。

能力のとびぬけて秀でた人がワンマンとなって会社を一人で切り廻すというケースはよく見かけるが、協力という形は難しい。井深社長は非常によく名前を知られた大きな存在だが、決してワンマンではない。私は、井深社長の技術的な面での天才的な創造力とか、将来を見る目、インスピレーションに敬服しているばかりではない。経営グループが真の意味での協力のできる体制をつくったこと、全員が自由な発言をしながら、その上でうまくまとまってゆくようにした人徳に、最も敬服しているのである。

この点で混同してはならないと思うことは、個性が完全な姿で生かされた協力体制と、妥協的な“協調性”である。

日本の会社の多くが“協調性”をうたう時、それは即ち個性の抹殺を意味している。ソニーでは個性は一切殺さない。全員がそれぞれの信念と個性を完全にぶつけあうし、その結果として、非常に充実した高い次元のまとまりと協力がつくり出されている。

そういう意味で、日本の会社の多くが、いまだに個性的な人材をきらって、協調性、協調性と一つ覚えのように繰り返していることは、大変なあやまりだと思うのである。組織として、集団としての秩序を重んじるあまり、協調性を要求するのであろうが、それでは、従業員全員に「もの言えば唇寒し秋の風」といった気持を植えつけてしまう。可もなく、不可もなく組織に組み込まれていれば安全、という気持になっては、企業も人も発展は望めない。大いなるマイナスである。

私にいわせれば、協調性を唱える経営者は、優れた個性を使いわけ、見事なハーモニーをかもし出してゆくだけの能力のないことを露呈しているようなものである。

話がとぶけれども、私は先輩とか後輩という言葉が非常にきらいだ。どうも校友会とか同窓会というものは好きになれない。よく「先輩のようになれ」などという。大学卒の場合、二十年ちかく学校教育を受け、教わるという体制がよくできている。ところが、その結果自主性が失われることが多いのである。会社へ入ってくると、会社でもよく言われることだが、「ひとつ明日からは先輩の教えを受けてしっかり働け」などと言う。しかし私の会社では、入社式にはこれと逆のことを言うことにしている。

本日から社員になった、明日からはひとつ自分勝手に仕事をしてくれ。先輩から教えを受けようと考えてはならない。なぜならば会社は学校ではない。今日入社する人にとっては先輩である我が社の社員は、先生として、後輩を指導するために雇っている社員ではない。会社の仕事をするために雇ってあるので、したがって先輩が仕事を教えるという義務はないし、責任もない。先輩の教えを受けることを期待してはならない。組織があるから、指揮系統はある。だから会社の命令は受けてもらいたい。しかし、仕事のやり方について先輩の指導を受けるという考えは絶対に捨ててもらいたい。先輩がもし後輩を指導したならば、その人は会社が命令した業務をやっていないということになる。先輩は毎日働いていればいい。新しく人を採ったのは、新しい業務が広がり、新しい人を必要としているからであって、先輩の教えを受ける必要はない。

われわれが会社を始めたときに、どうしたら食えるかということを教えてくれた人はいない。自分自身で考えた。会社の責任者は、一日一日を「明日はどうするか」ということを全責任をもって考えている。しかしただトップ・マネージメントが考えているだけでは仕方がないので、われわれの次、その次と、すべての人にどうしたら会社がよくなるかを考えてもらわなければならない。その方法は、先輩だから必ず正しいというわけにはいかない。おのおのの人が自分の考えを野放しにしてこそ本当の仕事ができるのだから、先輩の教えを受ける必要はない、とこういうわけである。

みんながもしも先輩と同じことをやっていたとしたら、われわれはいまだに神武天皇と同じ生活をしなければならないのではないか。今やジェット機に乗り、特急に乗り、自動車に乗ることができるのは、後輩が先輩を追い抜いてきたからである。先輩のやってきたことは大いに尊重し、利用したけれども、それ以上のことをやったからこそ、世の中が進んできたのである。先輩の言うとおりにしていたら、世の中の進歩する可能性はないのだから、先輩の言うことは気にしなさるな、と。

会社というものが組織である以上、命令系統はあるし、それには従ってもらわねばならないが、仕事のやり方の指導を受けることはない。自分で考え、自分の方法で行ってもらいたいのである。

経営者が下の人から自由に力をひき出してゆくということが、企業の技術なり成績なりが伸びてゆくための、大事な要素なのである。大発明なり大発見なりというものが大体二十代でなされるように、若い人は年輩の人間にない、フレキシビリティーに富んだ頭を持っている。そういう折角の頭に既成の方式を押しつけたのでは、あたら独創的なものを伸びずじまいに埋れさせてしまう。

ピアニストにせよ、タイピストにせよ、訓練しだいで指が人並みはずれた働きをするようになるという例である。頭にしても同じことで、自分で考える、自分で頭を使う習慣をつければ、脳細胞は活発に動くようになるものだ。なににつけ、こうやれと教え教えられるということは、そのまましきたりにこだわることとなり、豊かな可能性、独創性を封じてしまう。

会社の経営というものは一つの戦争である。どういう戦争をすべきかを、われわれが日々一番最初に考えねばならぬのだと思う。

しかし、何でも競争したらいいというのではない。私には私の特徴が、ソニーにはソニーの特徴がある。競争に勝とうと思ったならば、他人より優れているところがどこにあるかを考えて競争をするということは、当り前のことだと思うのである。

ところが世の中をみるに、このまことに肝腎なる原則が忘れられていることが非常に多い。観念上の競争意識のほうが大事らしく、あいつがこれをやったからオレもやろう、あそこの会社があれをやったから、オレもやろうというようなことが多く、本当に自分の特技を生かすことをしない。つまり戦争に打ち勝つことの最終日的ではなくて、なにかその場の体裁とか、その場の短い期間のとりつくろいばかり考えてしまって、それにとらわれるということが非常に多いと思うのである。

これは個人についても同じことで、画一的な人間では、なかなか競争に勝てはしない。

初等教育から大学にいたるまで入学試験によって画一的に選ばれるということをあまりに長く体験してきたためか、自分の特性を見失って、画一的なペースで歩けば安全だという、非常に安易な考え方をする人が増えてきているようだ。入社試験で私は「あなたの特徴はなんですか」と聞いてみるが、これにパッと答えられる人は実に少ないということは前にも書いた。「さあ、わかりません」と言う。自分の特徴、長所がなんであるかの認識くらいは持っていなければ因るのである。自分の会社の商品をよそに売り込みにいかなければならない時に、我が社の製品はここがいいのだということを知らなければ、売り込めやしないではないか。入社試験を受けて自分を売り込もうという大事な時に、自分のどこがいいのかわからないのでは、売り込むすべがないだろう。

協調性ということに関して、最近よからぬことがはやっている。この頃のマネージメント・スクールとなると、会議の進め方ということを熱心に教えるのである。なるほど、日本人は会議の進め方が下手である。みんなががやがやと時機を見ず、論の焦点を見ずに喋りたてたりする。

こういう点、会議の進め方をならってきた人間は確かにスマートであるし、上手である。皆さん、この問題はこういう議題で検討してみるといいのではありませんか、と整理し、巧みに発言を誘導し、配列する。それから、それではあなたの御意見はこういうことなのですね、とまとめ、最後に、ではこの結論はこういうことだと思います、それでは次の議題……とやるのである。

はなはだ結構なことに見えるかも知れない。しかし、この種の巧みさには問題があると思う。

整理と組織立ては時間を短縮するかも知れないが、同時に目に見えぬ力をもって、それぞれの人間の持つ個性とバイタリティーを殺してしまう。

前にも述べたが、こと会議に限らず、組織の秩序に組み込もう、組み込まれようという態度は、ありとあらゆる個性的な能力を殺してしまう。そんな秩序や安定は、すなわち沈滞であり、衰微であることは疑いの余地がない。形式会議からは、ろくなものは出てこないだろう。こういう会議は、早くものを決めることだけ考えて、日本のお役所あたりででもやればいいことで、われわれ企業の経営者は、心血を注いで会社を盛り立ててゆかねばならない。要するに経営者はつねに、食うか食われるかの激烈な闘いの中にいるのである。その中で明日の力となるべき新しい知恵を生み出すためには、一度決めたことでも、またひっくり返し、何度でも納得のいくまで、徹底的に議論することが必要だと思う。

その為にわが社では会議に時間がかかる。少なくとも生産、販売、企画などの担当責任者会議のように重要なものには、時間は無制限にかけるというのが鉄則である。午後から始まって、夜中までやる。とにかく、いったん話し出したら、徹底的に言うことを言ってしまう。そして決まった以上は、本当に協力しようということである。

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1969年「新実力主義」刊行時の盛田昭夫氏
盛田昭夫著「新実力主義」初出1969(昭和44)年6月25日

 

 

 

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